304


果てのない夜の空に、輝く星。
数多の星の中にひとつの藍から赤へと点滅する星があることを知っているだろうか。
そして、それが空を照らす灯台の物であることを。
広い広い果てない銀河のたった一つの道標である灯台。
ドゥシャと名づけられた灯台は銀河を渡る物たちには有名であった。
いくつか設置されている灯台と、そこは一線を画して知られている。
広大な銀河の中でも一、二を争う難所に設置されているのも一つの理由である。
灯台が建設される前は衝突事故や乗り上げ事故が絶えなかったが、灯台が作られると事故は半分以下にまで減った。
そして、もう一つこの灯台が名を知られるようになった理由。
それは。


「ライナー!飯だぞー!!」
ドゥシャの灯台に、盛大な怒鳴り声が響いた。
呼び声とは言えない、見事な怒鳴り声だった。
輝かしい星々が覗けるガラス窓がビリビリと震える。
フライパン片手に叫んでいるのは小柄な少年だ。
体格的には華奢だが、苛々としたオーラをまとっている姿は迫力がある。
床に固定されたステンレスのテーブルには、真っ白な皿に盛り付けられた目玉焼きとベーコン、トーストが湯気を立てていた。
「ライナ、さっさと降りて来い!このうすらバカッ、甲斐性なし、寝汚ないにもほどがあるぞ、絶対冷血漢!」
散々罵倒して気が落ち着いたのか、フライパンを下ろしてふうっと息を吐いた。
頭に巻いていた白のペイズリーのバンダナを取って軽く髪を振る。
濃いショコラ色の髪がパラパラと額にかかる。
空調の音だけが響く部屋にパタ、パタと重く引きずるような足音が重なって聞こえた。
リビングの端に据えられた色褪せた螺旋階段を、一人の男が降りてきた。
ぬぼーっとした緩慢な動作で、一段一段を油切れの自動人形のように降りて来る。
「…チオン、飯」
「の、前にシャワーを浴びて来い」
「…飯」
「その寝ぼけた頭に水引っ被って覚まして来い!」
オウムのように単語を繰り返す年上の男を、シャワーブースに叩き込んで少年、チオンは息巻いた。
毎度毎度の事ながら、この男の寝起きの悪さには疲れさせられる。
「ったく、あのバカ男」
ブツブツ言いながらも、甲斐甲斐しく着替えを用意してやって、キッチンに戻って冷めかけたスープを火にかけた。
「だいたい、何で俺がこんな所で家政婦やってんだよ。もともと俺は…」
口で何と言おうとチオンが、ここでの暮らしを楽しんでいるのは確かなようだ。
何せ文句を言っている唇が笑っている。
「チオン…」
ポツッっとした声が、スープをよそっていたチオンの背に掛けられた。
「げ、もう上がったのかよ」
不思議な色の濃淡を見せる黒髪から雫を滴らせた、風呂上りのライナが立っていた。
ライナは、寝起きの隙だらけの間抜け面からは想像出来ないくらい、美しい男だ。
ここに来てから嫌になるくらいに顔を付き合せているチオンでも、うっかりすると見惚れそうになる。
「飯」
「あぁ、はいはい…」
起きても、起きなくてもこの男の言う事は変わらない。
間がなくなっただけ、無愛想さに輪がかかる。
濡れっぱなしの髪に頓着せずに、ライナはテーブルの上の料理に手を伸ばした。
スープをついで並べてやると、酒でも飲むようにして一気に飲み干す。
いつもの事ながら、この男には熱感知能力が欠けているのでないだろうか。
呆れ果ててつつも、結局世話をやいてしまうのがチオンである。
「アンタもさぁ、いい加減に髪を拭くくらいの労力は自分で払えよ」
「煩い」
指触りの良い髪を拭いてやりながら小言を一刀両断にした男に、チオンのこめかみに青筋が浮いた。
言葉にならないあれやこれやの罵詈雑言が一気に噴き出しそうになるが、何とか押さえ込む。
ここで言ったとしても、簡潔かつ的確な氷の皮肉を貰って終わることになるのだ。
言っただけ無駄。
むしろ、この場は大人になるのだ。
頑張れ、俺。
言えなかった言葉は、明日のために取っておくのだ。
寝起き一番なら、例え何を言っても言い返されはしない。
まさに、不遇な環境を耐え抜くひとときの癒しだ。
虚しい言い聞かせを自分自身に繰り返して、色んな念のこもった息を吐き出した。
せめてもの意趣返しで乱暴に髪を拭きぬぐってやった。
だが、ライナはかすかに眉を顰めただけで何も言わない。
隠れて舌打ちしつつ、チオンも手製の朝食に手を伸ばしたのだった。


ドゥシャには、チオンとライナの他に人間はいない。
生物と言えば、日々の糧である家庭菜園の野菜と、誰の心を和ませるのか謎な観葉植物、そして、猫。
リツカと名づけられた彼女は、チオンの大切な友人である。
真っ白な毛皮に、花のような赤い斑点が散っている。
聡明な薄蒼色の瞳を煌かせてリツカは、身軽な動作で作りつけの棚の上に飛び乗って、主人であり友人であるチオンを見つめた。
彼女の前で、チオンはさっきから顕微鏡を覗いては何やらノートに書き付けていた。
「ったくさ、あの男の暴虐はどうにかなんないかな。いっつも、俺ばっかり働いて、アイツは自分の好きなことやってんだよ。信じらんないね。リツカもそう思うだろう」
ペンを向けて聞いてきたチオンに、取り合えず鳴いて賛同を示してやった。
確かに、ライナの日頃の行いは褒められた物ではない。
猫のリツカも、それは認めるらしい。
けれど、その悠々自適な生活を極めるライナに拍車をかけたのは、彼女の主人である。
ジッと見つめてくる視線に何を感じ取ったのか、チオンは気まずげに目を逸らした。
「いや、それを容認しちゃってる俺も駄目だけど」
その通り。
ヒンッと長い尻尾を振って同意する。
ガックリと肩を落としたチオンは、まだ半分以上白いノートに頬を押し付けた。
「俺って、ホント何しにここに来たんだろう」
確実に言えるのは、家政婦やおさんどんに来たわけではない。
そんな平和な事情で来るほど、このドゥシャは穏やかな場所ではない。
最近は比較的落ち着いたとは言え、一昔前には三十分に一件の割合で何らかの事故が起こっていたのだ。
人身事故の絶えないこの宙域を、渡航者は畏怖も込めて『墓場』と呼んだ。
実際、ドゥシャの中には他のどこより充実した墓地も完備されていると言う笑えない事実がある。
「あぁ、もう!」
突然、大声を上げた主人にリツカはピッと毛を逆立てた。
「グダグダ考えても駄目、無駄!それより、続きだ!」
元気良く叫んで、チオンは顕微鏡に向き直った。
確かに、悩むよりは目の前の事を解決した方が良いだろうが。
真剣な顔で理解不能な数式や化学式を書き立てていくチオンを見て、リツカはため息代わりに顔を前足で擦った。
その大雑把な切り替えの早さが、問題の解決を遅くしている事に彼女の主人は気付いているのだろうか。
多分、気付いていないだろう。
それに引き換え、あのライナはしっかりとチオンの悩みまで把握している。
把握しつつ、己の道を突き進んでいるのだから、当分チオンの苦悩は終わるまい。
前途多難は主の背中を、温かく見守っていると唐突に部屋の照明が赤く点滅した。
同時にライナの声が受信機を通して響いた。
『横転事故。三両編成の客車。死傷者未定』
簡潔すぎるくらい、簡潔なアナウンスにチオンは机の上に置いてあったカバンを引っつかんで立ち上がった。
表情を一変させた主人を見送ってリツカが一声鳴いた。
慌しい一日の始まりだった。


「ライナ、怪我人は?」
既にピシッとした制服に着替えたライナは、白い手袋を嵌めながら目の前に出されたスクリーンを顎で示した。
そこには、黒光りした鋼鉄の車体が横倒しになった悲惨な光景が映し出されていた。
この惨状では、怪我人より生存者の確認の方を優先すべきかもしれない。
「行くぞ」
深緑の制服とそろいの帽子をかぶり、最後に濃いサングラスをかける。
ライナのその姿は、一部の隙もなくカッチリとしていて、本人の雰囲気をそのままにしたようで息苦しくはあるが、良く似合っていた。
「あ、うん」
キビキビと歩き出したライナの後ろを駆け足で追うチオンは全く普段の格好のままだ。
それも、チオンの悩みの一端をになっている。
ホントに何しに来たのか、分からない。
これまでに何度も繰り返したため息を吐いて、気を引き締めようと唇を噛んだのだった。
ライナの運転する汽車で乗り付けた事故現場は、画像で見たよりも惨々たる有様だった。
横転した汽車の三両目だけは何とか無事だったようで、チオンはまずはそこに向かった。
ライナは、さっさと損傷の一番激しい一両目で乗客の救出作業を始めていた。
基本的に機械作業となるこの作業にチオンが手伝える事はない。
その代わり、チオンは自分の出来る事を真剣にこなしていた。
「怪我人はいらっしゃいますか?」
突然、顔を覗かせた少年に中にいた乗客たちは驚いたように顔を見合わせた。
この手の扱いには慣れていたチオンは、ハッキリと全員に聞こえるように話す。
「私は、第304鉄道の事故管理を任せられているドゥシャ灯台専属の医師です。ただいま、乗客の救助を行っております。この車内に怪我人の方はいらっしゃいますか?」
医師の証である星と十字を象ったペンダントを見せると、ようやく納得したようだ。
何人かが名乗り出て来た。
一人が衝撃で足の骨にヒビが入っていたが、残りは擦り傷程度の軽症であった。
手早く手当てをして、元気な乗客に安全のため、勝手な行動を慎むように言い聞かせてライナの元に走る。
「ライナ、中の様子は?」
すでに救出のための通路を確保し、中の確認まで済ませたらしいライナの格好は一言で言ってボロボロだった。
「中にいるのは五人。お前が行く必要はない」
冷たいくらいに短い言葉に、チオンは己の無力さを噛み締めた。
また、助けられなかった。
医者になって、一番勤務がきついと噂になっていたドゥシャに来た。
自分の腕を過信していたわけではないけれど、何度経験しても人の死に慣れることはない。
打ち震えるチオンに、軽く嘆息してライナは指示を与えた。
「車内に、怪我人を確保。お前の仕事だ」
「…うん!」
その言葉にハッとしたチオンは、揺れた瞳のままに強く頷いた。
自分の仕事は、一人でも多くの人を助ける事。
医者の顔になって駆け出した少年を見送って、滅多に表情を変えることのないライナは小さく微笑んだ。
チオンが見たら、卒倒するほど優しい笑みだった。


結局、事故の死亡者は5名。
重軽傷者はあわせ20名に昇った。
それでも、この宙域にあってはその数は少ない方であった。
損壊した汽車の修繕、補修はライナが全面的に協力したため一月ばかりで済んだ。
ドゥシャの灯台は、銀河を走る汽車を導くためだけではなく、事故が頻発するその宙域でのレスキューも行っている。
灯台の管理者であるライナは、事故災害のレスキュー、汽車の修復などの整備、もちろん灯台の管理も、全てを一手に引き受けている。
半分以上は機械の手が入るとは言え、ライナは毎日恐ろしい量の仕事をこなしている。
初めて会って、それを知った時には呆れて物も言えなかったが、長く暮らし始めてようやく理解できた。
ライナは仕事馬鹿だ。
趣味が仕事なのだ。
そんな人間だから、こんな場所で生きていけているのだ。
手際よくフライパンの中できつね色に色づいたパンケーキをひっくり返して、チオンは頷いた。
匂いにつられたのかリツカが、チオンの足元に擦り寄ってきた。
早起きの彼女を労って、焼き立てを一欠け進呈した。
熱々のそれを、何度か手で突いて温度を確認してからリツカは歯でひっかけながら咀嚼した。
淑女と言うもの、食事にも品良くなければ。
バターが少し付いた足先をペロペロときれいに舐めるリツカの額を軽く撫でて、出来上がった朝食をテーブルに並べ上げた。
そうして、いつものように声を張り上げた。
「こらー、ライナ!朝だぞ!飯だー!」
ドゥシャは今日も、賑やかだ。


思いつきのままに書いた、宇宙が舞台のファンタジー…(SFじゃぁない)
チオンはおさんどん兼お医者さん、ライナは何でもできるけど、何にもやらない人。
そして、猫一匹の賑やかな生活。

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