Cold Burn



「平気か?」
手当を終えた増井と入れ替わりに、今回の元凶がやって来た。
「痛えよ」
「痛覚が生きていて良かったな」
「ありがとよ」
未だに繋がれたままの手錠が鬱陶しい。
これさえなけりゃ、殴りつけられるのに。
心底腹立たしい。
つか、鍵どこやった。
「…悪かったな」
「あ?」
そこら辺に落ちていない物かと辺りを探っていたら、聞き逃した。
今、いっそ恐ろしい言葉を聞いたような気がした。
「今回のはこっちの落ち度だ。巻き込んで悪かった」
「…アンタが素直に謝ると気持ち悪いな」
「いつも素直なつもりなんだが」
やけに様になる仕草で首を傾げられて、思わず目が据わった。
「気持ち悪い」
「そうか、それなら早く休まないとな」
「げっ!」
いきなり視界が回った。
地面が目の前にある。
何してんだ、おい。
俺は荷物じゃねえぞ。
「静かにしてろよ、落とすぞ」
「注意の仕方がおかしいだろが!」
その前に、降ろさんか馬鹿野郎。
「お〜、アヤ大切にされてていいね」
「代わってやろうか」
「い・や」
だろうな、畜生。
あぁ、もう何で手が使えねえんだ。
今この時ほど、拘束された両手を疎ましく思った事はない。
いや、その前にこの男と出会ったのを悔やむべきか。
駄目だ、根本的に諸々の要因が重なり合い過ぎてどれを省けば良いのかすら思いつかねえ。
グルグル考えている間に、見覚えのある車に放り込まれた。
ここまで来るともうあきらめの境地が見えてくる。
「どうした?大人しくなったな」
「疲れたんだよ。もう勝手にどこへでも連れて行きやがれ」
実際、柔らかなシートに身体を沈めると一気に疲労感が押し掛かってきた。
一度目を閉じると、開くのも億劫だ。
シートに当たる頭が痛え。
帰ったらどうやって言い訳するかな。
怪我してると知れたら、チビたちが泣きそうだ。
でも、晃平は知ってるんだっけ。
やべマジで眠い。
「おい。今寝たら本当に勝手にするぞ」
五月蠅い。
好きにしろ。
俺は眠い。
最後に聞こえてきたのは、何だか複雑そうなため息だった。


「――ぶだ。お前はもう戻れ」
「でも、先生は父さんのせいで攫われたんだろ」
目を覚ますと何だか見知らぬ部屋にいた。
最近も似たような事があったな。
ぼうっと起きあがると、その部屋はやけに立派だ。
さらりとしたシルクのシーツがするするして頼りない。
やっぱり、シーツなら木綿だろ。
つか、何処だここ。
マジで勝手に連れて行かれたか。
起きあがるとさっきから届いてくる口論が更に激しくなった。
「何で先生を巻き込んだんだよ!こんな家の事で、何で先生が!」
「落ち着け。お前が熱くなってどうするんだ」
どうやら怒鳴り散らしているのは一方だけだ。
相手である北上の方は、宥めているというかあやしているというか。
しかし、どうも聞いた事のある声だ。
口調が違うせいで、アレだが。
「こーへー、隣まで声がもれってっぞ」
ドアを開けると、でっかいのとちっさいのが向かい合っていた。
「…起きたのか」
「先生!」
軽く驚いたような北上とハッとしたような晃平。
こうして並んだ顔はやっぱり親子だな、そっくりだ。
「何か飲むか?」
ごく自然に動いた北上と対照的に晃平は凍り付いたように動かない。
「ん。お茶あるか?」
「あぁ、紅茶か?」
「ミルク付き」
ごく普通に設置されているバーカウンターに北上が引っ込む。
ありえん、部屋だ。
「晃平、昼はありがとうな。お陰で助かった」
「う、ん」
さっきまでの威勢はどこにいったやら。
北上を「父さん」と呼んだ彼は、保育園にいる時とは違った。
少し辿々しい口調ではない、ハッキリした言葉。
子どもの言葉は、言葉が悪いが大体が軽い。
自分が何を言っているのか、理解して話せていない部分が多いのだろう。
晃平の言葉は意思がはっきりとこもっていた。
大人でも太刀打ち出来ないほどの気迫のある言葉。
ただの四歳児に出来る事ではない。
「晃平?」
俯いて下を見つめる晃平はかすかに震えていた。
この小さい体で一体何をそんなに背負っているのか。
分かるはずもないけれど。
「うあっ」
考えても分かるはずもないので、取りあえず抱き上げた。
人間、言葉で無理ならスキンシップだろう。
世界共通の言語だ。
何より手っ取り早くていい。
小さい体を抱きしめると、その緊張も直に伝わってくる。
「何でそんな顔してんだ」
背骨に添うように何度も手で撫でる。
ゆっくりと緊張を解すように。
何度も何度も繰り返す。
やがて、晃平の身体が肩に凭れてきた。
「何だ、寝たか?」
香ばしい匂いと共に北上がカップを持って戻ってきた。
「寝てない!」
からかう声に晃平がパッと顔を上げた。
「はいはい、そこの駄目親父は黙ってろ」
このまま抱きっぱなしも疲れるので、抱き上げたままでソファに座った。
「先生、頭大丈夫?」
「平気だよ。見た目が派手なだけで」
手を触れてみれば、丁寧に包帯が巻き直されていた。
「晃平、お前は部屋にもう戻れ」
「でもっ!」
「ここからはお前の立ち入って良い話しじゃない。分かるな?」
子どもに対するには、酷く重い視線だった。
晃平は躊躇うように俺を見てから、トンッと床に降りて部屋を出て行った。
「晃平!」
小さい背中が消える前に声をかける。
「また、明日な」
「うん」
くすぐったそうに笑ってから晃平は元気よく駆けていく。
「お前は明日から働くつもりか?」
心底呆れたような声だった。
そんな言葉は鼻で笑い飛ばす。
口を付けた紅茶は思った以上に、美味かった。
人間取り柄の一つくらいはあるもんなんだな。
実に俺好みの紅茶だった。
「アンタ晃平に、帝王学でも学ばせてるんじゃないだろうな」
晃平の部屋と良い、さっきの物言いと良い一般的な子どもではありえない。
北上にはふっと笑った。
「まさか。アレは生まれつきだ」
「は?」
同じようにコーヒーに手を伸ばした北上の言った言葉の意味がうまく掴めない。
「アイツは俗に言う天才児、神童だな」
「天才児…?」
「あぁ、異様に言語発達が早かった。試しにIQ計らせてみたら、尋常でない数値を出してくれたな」
何でもないような、半分面白がっているような口調だった。
だが、それで先ほどの晃平の恐ろしく年齢不相応の言葉にも納得が出来た。
前に見せて貰った部屋に並べられた本の数々。
驚いた俺に、少しだけ不安そうな顔を見せた子ども。
きっと周りと違う自分に対して、抱き続けた違和感、不安。
小さな心はどれだけ苦しんでいたのだろうか。
保育園に行った事がなかった、晃平。
増井が過度に向けているようだった労り。
そう言う事か。
「…何で、ウチに晃平を通わせようと思ったんだ?」
謙遜する訳でもないが、ウチはそう規模が大きい訳ではない。
それどころか、家庭的と言えるくらいには小さい。
他には私立の幼稚園も近くにはある。
勿論、そんな所には出来ない良さはあると自負はしている。
「アイツが行きたいと言ったからな。一度くらい、同年代の子どもがどんな思考をして、どんな目線で物を見ているのか。知りたいと言った」
飛び抜けた視線を生まれながらに与えられた子どもは、誰と共有する事も出来ない世界を抱えていたのだろうか。
増井の言葉がよみがえる。
本当に、それは酷く孤独なことだ。
「それで、適当な場所をピックアップさせて。丁度良いから一番庶民的な所を選ばせてもらった」
貧乏で悪かったな。
「まぁ、それが予想以上に幸運だったんだな。アレは、毎日楽しそうだ」
「そりゃ、どうも」
褒められて、いるんだろうな。
多分、恐らく、微妙に。
「ついでに、俺にとっても幸運だったぞ」
何で近づいてくるかな、この親父は。
覆い被されるようにして近づいてきた男の胸を片手で押しやる。
そこで、ようやく手錠が外されている事に気が付いた。
「あ、取れたのか…」
「あの程度ならすぐに外せるさ」
「だったら、あの場で外さんかい」
拉致されてここまで連れ込まれた俺は何なんだ。
つか、ここは何処だ。
何だか、さっきから思考が空回りしてるな。
脳細胞が半分くらい死滅したか。
この年になったら再生は難しいんだぞ。
いかん、また現実逃避している。
「あの店でお前を初めて見た時は、そこまで興味はなかったからな。まさか、あんな所に保育士が紛れ込んでるとは思わなかった」
だから、興味が湧いたんだ。
と耳元に囁かれた。
つまりは、俺は大墓穴を掘ったんだな。
あの時に戻って、己のいらん口を塞ぎたい。
「色っぽいため息だな」
だあああ、鳥肌がたつ。
「お前はどこまで、本気なんだよ」
そして、いつの間にか、押し倒されてる俺はどうよ。
「どう答えても、お前は本気に取らないだろう」
「そりゃ…」
当たり前だ。
今までの言動のどこに本気を見出せと言うのだ。
少なくとも、俺に関する物で本気なんてもんは…。
あぁ、一つはあるかな。
帰りの車の中で、トラウマについて話した時。
あの時の北上ならある程度信じても良い。
「何を考えてる」
「本気になった時のアンタのこと」
微妙にからかいたくなって、そんな言葉が出た。
途端に北上の目が今までにない光を浮かべた。
「げっ」
俺の座右の銘が刻まれつつあるな。
関節を巧く押さえ込まれて身動きできない。
軽く唇を吸われて息が震えた。
「…アンタ、ほんとに何考えてんの?」
「今はお前の事かな」
「ふうん」
どこまで、本気か。
ここまで分かりにくいヤツも珍しい。
と言うか、何を真面目に考えてるんだ俺は。
「俺はアンタと恋愛する気はねえよ」
「今は、まだ。だろ」
「どっから来るんだ、その無駄な自信は?」
くくっと声を抑えて笑う。
低い笑い声に耳に触れるのは、意外なほど嫌ではない。
が、心地良いと思う訳もない。
ゆっくりと北上が上から退く。
やっぱり何を考えているのやら。
「あ。そう言えば、園はどうなってるんだ?」
もの凄く話の腰を折るが、唐突に思いついたのだ。
これはこれでとても気になる事である。
「園長には事情を話しておいた。ココに連れて来たことも連絡してある」
「そうか。何か言ってたか?」
「いや…」
そこで、北上が不意に笑った。
気味が悪い。
「ふつつか者ですがよろしく、と言われたが」
祖母ちゃん…っ。
ひ孫の顔を見たくはないのか。
「よろしくせんでいい」
北上が口を開く前に、釘を刺す。
ったく、後で祖母ちゃんにも言っておかないとな。


保育園に戻ったのは、次の日の朝だった。
昨夜の内に連絡は取っておいた。
身体の怪我、その他を考慮して休むようにも言われたのだが、晃平に明日会おうと言ったし、行かないのは気持ちが落ち着かない。
「ご心配おかけしました」
「本当に、無事で良かったわ」
出迎えてくれた祖母の目は、かすかに潤んでいた。
小さな身体に抱き寄せられた時、本当に申し訳ないと、心から思った。
「傷は?もう良いの?」
「平気だよ。俺が丈夫なのは知ってるだろ」
「えぇ、えぇ。知ってますよ」
しばらく俺を抱きしめたまま祖母は、身動きしなかった。


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