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野分


その日、朝から島中が騒々しかった。
早朝に、親父が騒がしく急ぎながら、転がるようにして家を出た。
今日は休日だ。だから俺は昼間でぐっすり寝てやろうと思っていたんだ。
だけど朝から、島中が騒々しかった。自然と、その騒がしさに目を覚ました。
時計を見ると、まだ5時。
少し苛立ちながら布団を跳ね除けて、そこで漸く、異変に気付いた。

「……うっわ。嵐かよ?」

ひゅうひゅうと吹き荒ぶ風、どろどろと響く雷。そしてざあざあと容赦なく落ちる雨。
俺の親父は漁師だから、きっと船を見に行ったに違いない。
カーテンを開けて外を見ると、いつも綺麗な海が、龍の背のように津波を立て、荒れ狂っていた。
寝起きのジャージ姿のまま、俺も家を飛び出そうと、階段を駆け下りて玄関へと走った。

「ちょっと、アンタ、どこ行くの?」
「親父たち、手伝ってくる!」

驚いて顔を覗かせた母さんにそう叫びながら、俺はサンダルをつっかけて走った。
外に出ると、正面から吹く風に負けそうになった。足を踏ん張って、雨の中を駆け抜ける。
海が、荒れている。
荒れている。
海岸へ向かって走った。「危ねーぞぉ、坊主ー」なんて言う近所のオジサンの声を無視して、船へ向かう。

「キリ!」
「お……えっ」

俺を呼ぶ声がしたから、てっきり潤平も手伝いに来てるのかと考えていた。
けれどそれは全くの見当違いで、そこには傘もささない七海が、突っ立っていた。

「七海、ばか、何してんだよ!危ねーぞ」
「海が、」
「避難しろ、ばか。津波来んぞ、津波!ここじゃあ……」
「潤平も、走ってった!だって今日、今日は……」

はっと、した。
今日は、何の日だったかを、今この瞬間になって漸く思い出した。
今日は、花さんが、帰省する日だ。
朝方着くようにしますって、きちんとした文章で、そうメールを送ってきたのだ。
船は、出航したのだろうか。いや、するはずがないだろう。きっと。
俺は混乱する頭のまま、七海を引っ張って海岸沿いから離れた。
しまった、携帯、持ってくるのを忘れた。

「七海、携帯あるか、携帯」
「え、うん」
「花さんに連絡取れ!あのバカは俺が連れてくるから」

珍しく動揺している七海を置いて、俺はまた荒れる中を走った。
強い雨で、はっきり先も見えないけれど、それでもやっとの思いであのバカを見つけた。
親父さんたちが必死に船を繋ぎとめる中に、潤平も。海のずっとずっと先を見ながら。

「潤平!」
「キリ!」
「危ねーぞ、離れろ。このくらいなら、親父たちでも大丈夫だろ!」

年老いても、がっちりとした体を持つ親父たち漁師は、不思議なくらい男らしく見える。
「おう、大丈夫だから、戻んな」なんて、この嵐の中、真っ白な歯見せて笑う。
きっと潤平の心配する先は違うんだろうけれど。

「ほら、行くぞ」
「でもよ……」

渋りながら、潤平は怒りをもったような波たちをじっと見つめ、最早形の分からない水平線の彼方を見る。
そんなに、花さんが心配なのかよ、ばか。
全く最近のコイツも、七海も、ばかみたいに気の抜けたアホ面しやがって。
ああ、もどかしい。
俺はそんなものを堪えられるほど大人じゃない。

「いい加減にしろよ、七海が心配してんだぞ!」
「へ、」
「この海で花さんが出航できたわけねーだろ、ばか!」

また、気の抜けた返事を返す。潤平の胸倉を掴んで、そのまま引っ張った。
海を知っている潤平なら、冷静に考えれば、出航などできるわけないと思うだろう。
だけど今、冷静さも失って、なんてアホな面してやがるんだか。
しばらく引っ張って行った先に、携帯を握り締めてこっちを見る七海がいた。
ほらみろ、あんなずぶ濡れで心配そうな顔して、お前のこと待ってんだぞ。

「花さん、花さん出てないって!船、出てないって!」
「おう、ほらみろばか」
「……おう」

そのずぶ濡れの姿を見てか、潤平はようやく事を理解したらしい。
少しだけ申し訳なさそうにして、やっといつものように落ち着いてきた。
「すまん」なんて小声で呟いて、七海は安心して、困ったように溜め息をつく。
さっきよりも、津波が高くなっている。
海が怒っている。まるでそれは、花さんが来ることを拒むようにも見えた。
雷が落ちた。

「すまん、じゃねーよ」

胸倉を掴んだまま、俺はそのアホ面に一発拳を叩き込んだ。
七海が小さく息を詰める。
少しの静寂。稲光がはしる。七海が俺たちを交互に見つめる。

「いい加減にしろよ、まじで。お前ら、目先のことにばっか囚われやがって。周り見ろよ」
「キリ、」
「人の心配するのは勝手だけどよ、海の危なさだって知ってるくせによ、ばかだろお前ら」
「……キリ」
「お前らのことも、心配してる奴が何人もいるって、気付けばか」

俺だけじゃねえ、流歌も、メガネも、どれだけお前らのこと心配してるか。
俺には分かる。俺たちには、分かるんだよ。
三人してずぶ濡れになりながら、ハセガワ商店の屋根の下で立ち竦んだ。
雷が少しだけ遠退いた気がする。俺たちの、綺麗な思い出も一緒に。
避難の警告が島中に流れている中で、俺は一人、予感を感じていた。

嵐の予感、これはまだ秘密にしておこう。


(011006)