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世界


突然だが、僕は、勉強が好きだ。
その中でも特に、数学が好きだ。
空白だらけの謎の問題から、『正解』を導き出す、あのわくわく感がなんとも言えない。
小学校の頃に読んだシャーロック・ホームズになった気分で、数多の謎を解き明かしてゆく。
今も僕の目の前のノートには、謎だらけの数字が羅列している。
僕は片手にシャーペンを持ち、その謎を解く名探偵なのだ。

教科書を開き、ノートを開き、僕は数字世界にワープする。
数字が並ぶ、数字が踊る。
確かな答えを求めて、イコールへと向かう数字たち。
シャーペンが、ノートの上を軽快に滑る。ぴったり、綺麗に、当てはまってゆく。

「メガネ」
「あれ、七海?珍しいね、放課後教室にいるなんて」
「うん、今日部活休み。ねえ、数学教えて」

夕暮れのオレンジに染まっていく教室で、僕は一人で宿題をすませていた。
いつも授業が終われば真っ先に部活へ行って、気持ちよさそうに走る七海が、今日はここにいる。
広大な空の下で大地を感じて走る七海は、見ていてとても爽快だ。
だけど、この四角い教室の中で教科書と向き合おうともせずに座っている授業中の七海は、不思議と儚い。
どうしてだろう。
僕の世界で、謎がうまれる。

「……うん、うん……なんだ七海、結構分かってるじゃん」
「え、分かんないよ。何でこの数字になるの?」
「えっ、何でって……。だってココ。この公式を使って、計算したら……こうなるんだよ」
「分かんない」

七海は、『正解』に辿り着いても、全く晴れた顔をしない。
いくら分かりやすく説明して、七海がその通りに計算して、答えだって導いているのに。
七海は、晴れない。

「大体さ、1+1=2だって、わけ分かんない」
「は?」
「数字って、雑なんだもん」

乱れていく。
僕の数字世界が、少しも音をたてずに、静かに乱れていく。
綺麗に当てはめられていた数字が個になり、イコールが、消える。
世界には謎が犇き、すっきりしていた脳内が、一気に暗黒へと沈んだ。

「50メートル、7.63」
「え?」
「あたしのタイム。でも、実際そんなもんじゃないのに」
「……え?」
「走ってる時間は、あたしにとっては無限なの」

無限。無限大。∞……
僕は彼女の放つ、公式も数式も無視した言葉何一つ理解できなかった。
全く数字に囚われない彼女が、一瞬、光った。
数字世界が僕に告げたんだ。学年トップ、全国模試上位、百点満点、高偏差値……
それを全く必要としない人間がいるのだぞ、と。

「凄いな」
「?」
「七海は、変な奴だよ」
「失礼な」
「変わってくれるなよ」

僕の一言に、七海はきょとんとする。
変わってくれるなよ、七海。七海は、ずっと、ずっと、そのままでいてくれよ。
僕はきっと来年、この島を出て違う世界と出会って、今の数字世界ももっと広がるんだ。
だけど、七海が、この島が、何一つ変わることのないものだと思っている。
だから、僕の世界の中にある七海や、みんなや、この島は、無限大なんだ。
時折僕を、懐かしませてくれよ。

「だから、七海は今のまま、走ることが好きで、バカで変な奴で、」
「変じゃないし」
「それで、潤平が好きな七海のままでいてほしい」
「………え、」

丸い瞳が、さらに大きく見開かれる。
僕は七海に、確かな答えを与えることもなく、「じゃ、委員会あるから」なんて笑って言って、その場を去る。
正直言うと、僕も答えはまだ分からない。
だけど七海が、最近、全く潤平を見ようともしないことくらいは分かっている。
これは僕の我儘でしかないかもしれないけれど、みんな、何一つ、変わらないでほしいんだ。
いつもみたいにバカばっかりな集まりでこそ、僕の大好きな、秘密の世界。


(010921)