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卒業


「先輩!」

にこやかな笑顔で、こちらを向く後輩、七海ちゃん。
ああなんと無邪気で、そして可愛らしく、逞しい少女なのだろうか。
三月一日 卒業式
厳粛な雰囲気の中催された行事を終えて、七海ちゃんはふっとやってきた。
ああ、伝統行事ね。
七海ちゃんは私も所属していた陸上部の、女子部長。
私達陸上部に継がれるそれは、卒業生と部長があの大きな大きな坂を走って競うという。
大した意味はないが、あのうねる坂を一気に駆け下りる、それがまたスッキリするのだと先輩は皆言った。
私達後輩には全く理解はできなかったけれど。
なんせ、あの坂。一つの大きな峠を越したかのような気持ちになる。
けれど七海ちゃんはうずうずしているのか、楽しみなのか。私を急かして前を歩く。
きっと、私は七海ちゃんには勝てないのだろうけれど。

「………うげぇ」
「?」

うきうきしていた七海ちゃんが突然低い声で唸った。どうしたのだろう。
不思議に思ってその視線の先を見ると、校門、即ち坂の一番上にいつものメンバーが揃っていた。
ああ、見物しに来たのだろうか。
ぱちり、
端で佇む少年と視線が交わる。あ、潤平君だ。
どちらともなく視線を下げ、自然を装って一瞬の奇妙な空気を掻き消した。
ああ、ごめんね潤平君。

「なんで皆が集合してんの」
「いいじゃねぇか!花先輩と七海の勝負なんて貴重だろ」
「二人とも速いんだもん。絶対あたしだけ置いてかれてるー」
「まあ、見納めということで」

片桐君(キリ)と流歌ちゃんと、眼鏡君が揃って言う。
ああ、ごめんね。私流石に、七海ちゃんには敵わないの。
そう、敵わないの。

「位置についてー」

流歌ちゃんの右手が上がる。
ふと気付いた時には、私は七海ちゃんの隣で、ジャージ姿で立っていた。
どくん。緊張が走る。どくん。一瞬。
息を静かに吐き、正面を見た。坂の上から見下ろすブルーの水平線。
この、素晴らしく別世界のような美しい海も、私は切り離してゆくのだ。
潮風の匂いもきっと消えて、立ち並ぶビルの中に溶けて、いつか消える。きっと。
瞼の裏に焼き付ける。この18年間の私の世界を。
ひとつ年上の私を受け入れて笑顔を向けてくれる大切な大切な仲間がいたのだ。
―――『俺、花先輩が、』
慕ってくれる少年がいた。それを、遮ったのは私。ごめんね、潤平君。ごめん。
でも思うのよ、あなたに似合う女は、絶対に私なんかではないの。
勝手な考えで傷つけてしまっていることは、痛いくらい分かっているよ。
だけどね、絶対に違うの。
この海の似合う焼けた肌、太陽より輝いた瞳。真直ぐで、純粋な、。
海も、潮風も、坂も、すべて、手離す私を見てはいけない。
たとえ私が、

「よーいっ」

ドン!

加速する。加速する。加速、する世界。
海が近づく。潮風が吹き付ける。坂を一気に急降下。足が、浮く。ああ飛べそう。
視界は空と海の色。聞こえるのは足音、風をきる音、七海ちゃんの、笑い声。

「あっはは!先輩!」
「………、あ」

七海ちゃんが手を差し出す。条件反射でそれを握り返す。
ぐん、私のスピードより遥かに速い勢いで引っ張られ、ただそれに任せた。
そして気付く。

「っひゃ!」
「あああああー!」

浮いていると。
もう坂を下り終えて、そして今、ハードルの様にガードレールを飛び越えた。
そして七海ちゃんは叫ぶ。何も無いはずの海へ。
ざざっと、砂埃をたてて砂浜へダイヴ。ぎゅっと手は繋がれたまま。
「ど、同着ー!」後ろ遠くで流歌ちゃんが叫ぶ。
ああ、七海ちゃん。
七海ちゃん。

「敵わないなぁ」
「へ?どうかしましたか先輩」

小さく笑って、誤魔化す。
ねえ、ほら、潤平君、見てた?この少女を。
私の憧れる、そして絶対に敵わないこの少女のことを。
私はね、潤平君。この島に、海に、潮風に、坂に、皆に、あなたに、さよならをするの。
もっと大きな大きな世界と出逢ってしまうの。そしてきっと溶けて消える。
それはどこも美しくなんかないわ、絶対。そんな気がしているの。
絶対にあなたを、連れてゆきたくない。
たとえ私が、

「ありがとう、七海ちゃん。ありがとう」
「せ、先輩!泣かないで下さいよぅ」

たとえ私が、あなたを好きでも、よ。
不安と期待と切なさを孕んだ、誰にも見せない秘密、18の胸。



(0100203)