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有り体に言えば打ちどころが悪かったのだ、とても。 それなりの大きさの石が投げられて、イムホテプは避けも防ぎもしなかった。 誰が投げた石なのかなんて分からない。そこには多くの人間がいて、そのうち殆どの人間が石を持っていた。石でなければ、棒だとか、刃物だとか。 だから犯人捜しはおこなわれなかった。イムホテプの身体は褐色の肌でもわかるほどに青く、黒く、赤くなっていたので私刑がおこなわれたことは明白だった。ペル・アンクに搬送されるまで一晩かかった。明朝になってようやく地面に伏しているところを発見されたのだった。死体と間違われる冷たさだった。 さいわいなことに脈も呼吸もあったので、治療を終えたあとは目覚めを待つだけだった。ただひとつ、打ちどころが悪かった。石が投げられた。彼の頭を直撃した。それがどうにも、悪かった。 搬送されてから三日後、イムホテプはペル・アンクで目を覚ました。涙を浮かべる仲間たちを見上げて言った。 「おかしくなってしまった」 続けてぽつりと「ごめんね」と言った。そこからはもう、本当に、おかしくなってしまった。 二本の足で立てなくなって、現代人が分かる言葉は話せなくなって、口から食べることができなくなって、人間と机の区別がつかなくなった。 治療魔法を使える人間はとても限られていて、特に優れていたのが当のイムホテプだった。脳の損傷は現代医学でもむずかしい。だからなすすべがなかった。 九柱神は今後に迷い、イムホテプの処遇を保留した。脳味噌がどうなろうと、月神の精神は確かにイムホテプと通じているからだ。明日にも彼を創世神の御前へ。 決定がくだされたその晩のこと。病室で眠るイムホテプのもとへ訪れる影。 「ああ、めんどくせぇ」 アポフィスは低く唸った。三千年待った結果がこれでは嘆きたくもなった。こうなってはもう、イムホテプの身体を砕いて精神と魂を取り除くしかない。どれかの段階で月神も姿を現すだろう。 様々な策謀を巡らせて、餓鬼共をけしかけてきたのにこれである。全てが徒労に終わるようなものだった。一般人からの暴力というかたちで、いつもと同じように。 ふとイムホテプのまぶたがふるえた。ゆっくりと開かれた瞳には、これまでと変わらない月夜の色が映り込んでいる。アポフィスの姿を映したその瞳が、とろんと蕩けたりしなければ。 「ふふ」 信念や決心というものが失われた頭だ。アポフィスをぞっとさせる笑顔だった。なんの荷も背負っていない友の顔とは、こんなにも薄気味悪いものなのか。いつか夢に見たはずだったものも、いざ差し出されればこんなにも醜く哀れだ。 「もういいかい?」 尋ねた声は誰のものだったのか。 「もういいよ」 アポフィスは答える。ジェゼルの声色で。意識せず伸ばした手はそれこそジェゼルのものだったろう。打ちどころが悪かった場所を撫ぜる。俺もよく投げられたもんだよ、とアポフィスは内心で呟いた。口に出すことはない。 幼子のようにねだられて、抱え上げた身体は嘘のように軽い。地面に叩き落とせば粉々に砕けるだろうか。 二人で黒い穴をくぐる。何者でもなくなった紛い物を捨てに行く。アポフィスには気の重い道行きだった。 2019.04.14 |