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ひらひらしたちょうちょがかわいくて、わたしはいっぱいはしっておいかけたんだ。








京の見回りがあるから明日は花梨に同行することはできない。
そう文を出した翌朝、宣言どおり馬で京の街を歩いていた。
検非違使に役目のほとんどを奪われているとはいえ俺は京職であり、京職が民を守るために巡回するのは当然のことだ。
…もっとも、そんな純粋な気持ちだけで動いているわけではないんだが。
ふっと自嘲にも近い笑みを浮かべたところで東寺の辺りに長く住んでいる老女を見かけた。
表面を見ているだけではわからない問題というものは多々ある。
その老女とはもう既に顔見知りのため、かけた声に戻ってきたのは気軽な返事。
本題である困り事を尋ねれば『腰が痛むくらいだ』ときた。
さすがにそれはどうにもならん。
老女と別れ、羅城門跡の方へ馬を向けた。
あの辺りはもう寂れて京で一番と言っていいほど治安の悪い場所だがそれでもまだ住もうとしている者は多い。

――ぅ……っく、…かあさま……
「…何だ?」

風にかき消されそうな小さな声が聞こえた。
嗚咽のような、それを堪えているような、小さくて高い子供の声。
馬に乗ったままでは蹄の音が邪魔で場所がよくわからない。
少し待っていてくれ、と首を軽く叩くと馬は鼻を鳴らした。
近くの木に手綱を繋ぎ、耳を澄ませる。

――どこぉ……ここ、っ、なぁに…?

当たりをつけて歩き出すと案の定泣き声は大きくなってくる。
子供…それも、多分女。
赤い着物の童女が羅城門の下に蹲り、ぐすぐすと泣いていた。

「おか、さま……どこぉ……ひっ、とうさ……」

時折しゃくりあげながら頬を袖で擦る。
その動作を何度も繰り返していたのだろう、ちらりと見える頬は真っ赤になっていた。
…さて、迷子かそれとも孤児か。
怖がらせないようそっと近づき、少女と同じくらいの目線の高さにしゃがみこむ。

「どうした、親とはぐれたのか?」
「ひっ!?」

つむじしか見えない頭に手を置くと小さな肩がびくりとはねた。
そして一瞬動きがなくなり、徐々に体全体が小刻みに震え顔を隠すように袖を押し付ける。
全身で恐怖を示すこの反応には苦笑するしかない。
頭に置いた手を努めて優しく動かし、もう一度はぐれたのかと問う。
子供の返事を待ちながらざっと様子を観察した。
細く滑らかな黒髪と仕立てのよい着物。
袖から覗く指先も荒れた様子がない。
となると…どこかいいとこの幼姫かはたまた童か。
どちらにせよ悪心を起こすには十分な条件だ。
大事に至る前にここに来られてよかった。
そう独り安心していると、ごく小さな声が聞こえたような気がした。

「お、じさん…だれ?」
「…せめてお兄さんと言ってくれないか。
それか勝真と名で呼んでくれ」
「…かつ、ざね?」
「そうそう、いい子だ」

おじさん発言に少々口元を引きつらせてしまったが、素直に言い直したことを褒めてやる。
すると少しずつ袖が下がり、泣き腫らした目元が覗いた。
声も少し掠れているし相当長い時間ここで泣いていたらしい。
ゆっくりと頭を撫でてやりながら三度問う。
今度は小さいながらもはっきりと、ここがどこだかわからない、と答えた。

「ここは羅城門跡だ。
聞いたことはあるか?」
「……ない……わかん、ない」
「(紛うことなく迷子だな…)
よし、俺が一緒にお前の父上と母上を探してやる。
お前の名前は何ていうんだ?」
…」
か。
いい名前だな」
「ありがとう」

話を進めていくうちに袖がまた下がり、顔が露になった。
まだ頬は濡れているが涙は止まっている。
体の震えもまた止まっていて、名を褒めてやると嬉しそうに笑った。
子供の笑顔というのは何故かこちらまで笑顔にするもので、つられるように俺の頬も緩くなる。
だが本題を忘れてはいけない。

「それで、何でここまで来たんだ?」
「えっと、ちょうちょがね、いたの」
「蝶?」

今時分珍しいなと思いながらも話を促す。

「ひらひらで、とってもかわいかったの。
だから、いっぱいいっぱいはしって…でも、ちょうちょ、いなくなっちゃった」
「そのまま帰り道がわからなくなったと、そういうことか?」
「うん…。
…ねえ、わたし、かえれる?」

不安そうに見上げる大きな目にはまた新しい雫が溜まっていた。
安心させるように頭を撫でながらしっかり目を見て言ってやる。

「もちろん帰れるさ。
俺が必ず連れて行ってやるから安心しろ」
「うん!」

今泣いた烏がもう笑う、とは誰が言った言葉だったか。
自分の袖を軽く目に押し当てて水気を吸い取ってやり、小さな体を抱えあげた。
はひゃあ、と驚いた声をあげるもすぐに頭にしがみついてきゃっきゃと笑っている。

、家の周りはどんな感じだった?」
「えっとね…おにわがあるの。
とってもとってもきれい。
いつも…えっと、にわし? がととのえてるの」
「庭?」

繋いだ馬まで連れて行く最中にも少しずつ情報を集めていく。
庭師が整える綺麗な庭がある家、ということはやはり貴族か。

「そう、おにわ。
それでね、おにわにはひがんばながあるの」
「…彼岸花……」

彼岸花というのは大きな手がかりだ。
庭師を雇える貴族で、わざわざ彼岸花を植えさせるような奇特な家といえば家くらいしか浮かばない。
ひとまずの屋敷に行ってみようと決める。

「わぁ、おうま!」
「ああ、馬だ」
「すごい、おっきい…」
「今から乗るんだぞ?」
「のれるかな?」
「乗れるさ、俺も一緒だからな」

馬のところまで連れて行くと、元々大きな目がさらに大きく開かれた。
本物の馬を見るのは初めてなのかずいぶんなはしゃぎ様だ。
鼻先に手を伸ばそうとするのを高く持ち上げることで防ぎ(この馬はお世辞にも気性がいいとは言えない)、そのまま鞍に座らせた。
続いて俺もを抱きこむように鞍をまたぐ。

「いいか、しっかり掴まってるんだぞ」
「はあい」

ぎゅっと俺の衣を握り締め、急かすように引っ張られた。
手綱をとり、馬の腹を蹴る。

「うごいた!」
「もう少し速くしても平気か?」
「うん、もっと!」

怖くなったらいつでも速度を落とせるように、少しずつ馬の足を速めていく。
小走りになってもは楽しそうな笑い声を上げていた。
…妙なところで肝が据わっているというか何と言うか。
この分なら大丈夫そうだとの屋敷に続く角を折れる。
二つ三つ角を曲がり、屋敷までは一本道というところまで来ての目が輝いた。

「かつざね!
ここ、もうすぐ!」
「ああ、やっぱりの…」

ものすごく納得した。
このじゃじゃ馬っぷりも家当主の血だろう、まず間違いなく。
家は変わり者で有名な一族だ。
と、余計なことを考えていたら門から女房が1人血相を変えて飛び出してきた。

「姫様!」
「…姫か」
「うん、でもわたし、ひめってやなの」
「姫様、一体どちらに行っていらしたのですか!」

女房が真っ青な顔で近づいてくる。
馬を止め、を抱き上げて降ろしてやった。
慌てふためく女房をよそに、は満足げな笑顔。
…まったく、こいつは。

の姫で違いないか?」
「ええ、三の姫の様にございます。
…失礼かとは存じますが、あなたは?」
「すまない、俺は京職を務める平勝真という者だ。
見回りをしていたら羅城門跡で蹲っているのを見つけてもしやと思い連れて来た」
「まあ、それは…大変ご迷惑をおかけいたしました。
何とお礼を申し上げてよいやら…姫様が無事に戻られたのも勝真様のおかげにございますのね」
「いや、俺は当然のことをしただけだ、礼には及ばない。
…それより」
「うん?」

我関せず、と言わんばかりの顔で女房の袖を弄って遊んでいたと目線を合わせた。
はこてんと首を傾げて心底不思議そうな顔をする。
その額を軽く突いてやった。

「いたっ」
「いいか、お前がいなくなったら心配する人がたくさんいるんだ。
これからはもう危ないことはするなよ」
「…だってつまんないんだもん…」
「つまんない、じゃないだろう。
はいい子なんだから、もう心配なんかかけたりしないな?」

一瞬は言葉に詰まり、あちこちに視線を彷徨わせた後小さく頷いた。
よし、いい子だと最後にもう一度頭をなでて立ち上がり、馬にまたがる。

「かつざね!」
「ん? 何だ」

鼻先に触れようとして遠ざけられたのを覚えているのか、馬から少し離れたところまで駆け寄ってきた。
子供らしからぬ真剣な表情だ。
一体何事かと首を傾げながらもを見る。

「わたしね、もうしんぱいかけない!」
「ああ、それがいい」
「だからね、おっきくなったら、およめさんにしてね!」
「は!?」
「あら、姫様ったら…」

言いたいことを言って満足したのか、は嬉しそうに手を振りながら屋敷に駆けていく。
まったく子供というのは何を考えているのかわからない生き物だ。
苦笑しながらも小さな影が屋敷に消えるのを見届け、また馬を走らせた。






迷子の五歳児を勝真が送り届ける話。
ヒロインからすれば勝真は王子様ですね。
馬だし。(
この様子を花梨と同行していた翡翠、彰紋に見られて後でからかわれたとか何とか。